絵画:ゴッホの「糸杉と星の見える道」に会う
2021.10
何にも知らなくたって、出会えたら感動してしまうと思う。 2019年の秋、オルセー美術館で初めて見た、本物のゴッホの絵には、特別なオーラがあった。
なんだかとってもオープンで、小難しくなかった。今描かれているかのように温度があって暖かく、これまでに感じたことのない躍動があった。ほんとうなら躍動なんてしない、部屋や無表情の顔に。
厳かな絵の前ではついつい静かになってしまうが、ゴッホの絵の前では自分が自由になっていく感じがした。絵の内側に立っているような感覚。絵画の魅力はこういうものなのかと漠然と感じて衝撃があったし、「また会いたい」みたいな不思議な感じがした。
それでも当時のわたしは絵画に特別な関心はなく、自分が目撃したものをよくわかっていなかった。これが今思うととっても、とってももったいない。
Hedwig and the Angry Inch という大好きな映画があって、物語というよりは主人公のヘドウィグが大好き。映画、ボヘミアン・ラプソディを観て、その後もドキュメンタリーを見たり色々知っていく中で、ヘドウィグに抱いた気持ちと、とても似た気持ちをフレディ・マーキュリーに抱いた。
それは、10代の頃に親友と呼べるようなお友達に出会って、夢中になったあの感じとよく似ている。もちろんこの場合一方的なものなので、コミュ障特有の症状なのかもしれないんだけど。
とにかく、ゴッホを知るうちに。この出会いがまたそのたぐいの、わたしを夢中にさせるものだとわかってきた。
絵画に興味を持つまでは知らなかったけど、芸術は時代背景や流れを知ることが、作品と向き合う第一歩で、やはりそうして踏み込んだ視線で見ることで、ずっと関心が湧いて、見え方も違ってくるようで、もっと楽しくなってくる。
日本にやってきた「糸杉と星の見える道」の前に立ったら、ずっとそこにいたくて立ち尽くしてしまった。やっぱりあのとき感じた、絵の内側に立っているような感覚。
意思を持ってのせた一筆一筆の厚みと重みに、画家の息づかいのようなものを感じる。吸い込まれそうな魅惑の夜空に負けじとしっかり立ってる糸杉が、夜行性の静かな動物のようにうごめいて、やっぱりそこには温かみがあり、少し淋しく。力強くて儚くて、とても安らぐのに同時に不安になる。懐かしむ気持ちにも似ていた。
わからないけどきっとファン・ゴッホって人も、そんな感じの人だったのかなと感じた。そんなふうに想像させるのは、わたしにとってヘドウィグとフレディ・マーキュリーとの共通点。
わたしのすきなひと。夢中にさせてくれるひとたち。
いつかオランダに行ってもっとたくさんのゴッホの作品が見たい。
いつか南フランスのアルルに行って、その空気を感じてみたい。
略してフラマン。THE BAUM、NIGHT OWLのメンバー。