FLOWERMOUNTAIN 『まくらもとノート』
 

春になると思い出す、ある日のこと。

2023.03

いつのまにか、冬のけむたくて粉っぽいにおいが去り、生温い風がもたもたと吹きつける。このはじまりの季節に、おじいちゃんと過ごしたある日を思い出す。

 桜並木の歩道沿いの病院に、おじいちゃんは入院していた。病室の窓から覗きこめば、満開の桜が見えた。その病院のお見舞いは何度目かで、きれいな病院で桜も見えて、よかったって思った。

おじいちゃんはそのとき92歳で、耳が遠くて、特にわたしの声は高くて、早口で聞き取れないってよく言っていたのだけど、なぜかその日のおじいちゃんにはわたしの声がよく聞こえていた。おじいちゃんも、わたしが子供の頃からずっと変わらない、ちゃんとした口調(江戸弁)でこたえてくれていた。

 

わたしは、よく、おじいちゃんとおばあちゃんの家に行っていた。 子供の頃、自分で行動できる範囲が広がってすぐに、電話もしないで、ママにも言わないで、大通りをふたつこえて、自転車で20分のおじいちゃんの家に、ぷらぷらと行っていた。会いたいから、本当にふらっと行っていた。お友達も、彼氏も、連れて行った。

おじいちゃんの隣に座ることが多かった。おじいちゃんが裏返した升の底に爪楊枝をねかせて、年季の入った小刀を使って更に先を尖らせるのを見てた。器用なおじいちゃんの手先を見てるのが好きだった。 道を聞いて、地図を描いてもらうのも好きだった。

わたしはとっても可愛がられてた。相性が良かったんだと思う。

 

おじいちゃんが横になっている病室のベッドに座って、おじいちゃんと話した。少し買い物に出て、おじいちゃんの必要なものを持って戻って、また、おじいちゃんの横に座ってずっと話をした。はげあたまにローションを塗ってあげたりしながら、冗談を言い合った。

時間がゆったりと流れて、他の音が何もしないくらい静かで、おじいちゃんの言葉が直接あたまの中に流れ込んでくるみたいだった。すべての時の流れや、背景や、歴史が全部削ぎ落とされた異空間みたいだった。ただ、お互いに心を開いた状態のおじいちゃんとわたしがいて、おかしな話、天国で話してるみたいな、不思議な通じ合い方をしてた。

おじいちゃんの腕には、傘をさした和服の女の人のちいさな刺青があった。みどりがかった青一色で、簡単な線で描かれていた。小さい頃に何か聞いたら、 下唇を突き出して泣き真似をしながら、らくがきしたら落ちなくなっちゃった!って言ってた。色々わかる年頃になってから聞いた噂では、もともとはそこに女性の名前も彫られていたらしく、それを無理やり消してあるとか。それが誰なのかは、だれも知らないみたいだった。

いまそのときの光景を思い出してみると、わたしはベッドに肘をついてたのかもしれない。おじいちゃんの隣で半分横になってるみたいな感じだったのかも。

わたしはおじいちゃんに、その傘をさす女性について訊いた。おじいちゃんは、そのひとの話をしてくれた。せつない話だった。もちろん、その内容は誰にもひみつ。 

あまりにも居心地がよくて、静かで、味わったことがないくらい実感して心が穏やかで、いっしょにお布団に入って、寝ちゃうまでずーっと話していたいと思った。あたまの片隅で、こんな時間を過ごせるのは最後なんじゃないかって、なんとなく感じてしまっていた。

そうではないと信じたくて、後ろ髪ひかれながら、わたしはいつもおじいちゃんのお家から帰っていくときに言っていたのとおなじように「またくるね」と繰り返しながらバイバイした。

わたしが生きている時間の流れから、ポコっと浮き出たような、忘れられない、不思議な日。大好きなおじいちゃんとの、ごほうびみたいな思い出です。

 

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略してフラマン。CRAP CLIMBERSのメンバー。

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