FLOWERMOUNTAIN 『まくらもとノート』
 

QUEEN + ADAM LAMBERT THE RHAPSODY TOUR に行ってきた

2020.01.29 - 02.07

1月26日はさいたまスーパーアリーナに行ってきた!記念すべき日。

 いちばん最初のきっかけは、およそ1年前。2018年12月5日に、やっと観に行った映画、「ボヘミアン・ラプソディー」。
出不精なわたしが、朝から映画館に出かけた。すっかり気に入ってしまって、その後も(だいぶがまんした結果)2回、映画館に観に行った。

 わたしは「ロック」が大好き。ロックという音楽というより、「ロックであること」が大好き。「ロックだね」は最高の褒め言葉だし、わたしの中のロックという概念は美意識をくすぐる。美しいかっこいいだと思う。とても美しいと思う。そして、QUEENをロックとひとくくりにしていいかわからないけど、わたしの「ロックごころ」は「ボヘミアン・ラプソディー」によって、しばらくぶりに、ひたひたに潤った。

 長く一緒に暮らした彼(今の夫)は出会ったころからロックバンドをやっていて、わたしも活動をずっと応援していたから、そういうわたし自身の若くて夢中な時間と、映画の中で流れる時間やできごと(特にメアリーがフレディに似合う女性ものの服を着せるシーン!)、もたらされる一報とか、会えない時間、ワサワサする気持ちが、特にメアリーの視点で重なって心が刺激された。わたしの場合、彼はゲイではないし、世界のスターにはならなかったけど。
 そしてやっぱり何よりも、楽曲のちからに圧倒された。名曲に次ぐ名曲をつぎつぎと立体的に紹介された。伝説のパフォーマンスを、立体的に紹介された。そしてエンドロール中涙を流しながら、わたしは何年かぶりに、自分が間違っていなかったことに気づき、こころの中で叫ぶ。やはり「ロックとは愛」なのだ!

 わたしにとって、ロックはひとつの愛のかたちなのだ。それはわたしにとって理想にちかいかたちだ。
 そして、愛のないところに、ロックはないのだ。

 映画は愛に溢れてた。フレディが欲しくてたまらなかった愛、そして孤独と闘いながら、ステージから世界に振りまいた愛。映画全編を通して、またその映画の存在自体が、QUEENと、QUEENに関わった人々の愛の結晶のひとつだったと感じた。あらゆるものが枝分かれしたり集結したりして絡まりながら複雑な様相で、目の前に現れて、圧倒されてしまった。まさしく「感動」してしまった。とてもあたたかいものに抱きしめられたような感覚、そして、どうしようもなく悲しくなってしまった。わたしたちの失ったものの大きさに気付かされたからだ。

 それから色々なライブ映像を観た。実際のLIVE AIDのフレディは脳裏に焼きつくほどのパフォーマンスだった。アクロバットしているわけでも、派手な服を着ているわけでもないのに、人を魅了する圧倒的な存在感に衝撃を受けた。どのライブ映像を観ても動きひとつで鳥肌を立てて叫んでしまうし、「WE ARE THE CHAMPIONS」までたどり着けば感動と終わってしまう淋しさで絶対に泣いてしまう。そして、そのステージを観たかった、その声を実際にこの耳で聴きたかったと今思っても、叶わないことなので、悲しくなる。どんなに大きなスタジアムの豆粒でも、その場にいた人たちがひたすらうらやましく思える。

 そんなわたしに春、QAL来日の情報が舞い込んだ!思わず大きな声が出た。フレディがいないと言っても、ブライアンのレスペの音は聴ける!ロジャーのドラムは聴ける!伝説と同じ場所で、同じ空気を吸って、奏でる音をこの耳で聴ける、実現可能なチャンスを逃すわけにはいかないと思った。一緒に行けたら最高だ!と思ったTHE BAUM(参加しているバンド)のメンバーみんなで行けることになった。チケットに当選した時は、本当に最高の気分だった。
 でもひとつだけ不安があった。せっかく日本に来てくれる今のQUEENを観て、フレディがいない喪失感で泣くなんてことになったら。そんな無粋なことをすることになれば、わたしはそんなわたしを、好きじゃないって思うだろう。

 フレディ・マーキュリーはたくさんのものを遺した伝説。今もまだたくさんの人々を勇気付けるし、わたしもそのうちのひとりだ。それなのにその反面、わたしはひたすら「もういない」と思ってしまう。フレディが望まないことだとわかっていても、自分の気持ちが邪魔をして、後期のアルバムまで手が伸びない。映画以降のストーリーに、目を向けるのがこわい。
 映画「ボヘミアン・ラプソディー」を観たとき、わたし自身、喪失の中にいて、うまく状況が飲み込みきれず、自分を穴の底に落とすのが怖くて、どこかに寄り掛かろうとして転ぶのが怖くて、ひたすら感情から目を背けていた。泣いてしまうと間違ったことをしているような気がした。そんな中で、フレディのこととなると、何も考えずただただ気持ちの赴くままに失った悲しみにボロボロ泣いた。「輝ける日々」で”I still love you”を言ってもらうたびに泣いた。心の中でこっそり、父の最後の、わたしのための笑顔を思い出していた。腫れあがったこころからちょっとずつ、悲しみをこぼさせてくれた。人形みたいに座っていたわたしに、自分で気づいて、見つめても大丈夫な、こころの動きを与えてくれた。その代わりなのか、「フレディがいなくなっちゃった」は、わたしにとってQUEENに付きまとう感情になってしまっていた。

 ライブ当日を迎えて、テンションは高いけど、実感はイマイチ湧かないまま会場に入った。大量のイスが徐々に埋まってきて、いっぱいになった。開演時間を数分過ぎても、ステージに変化がなくて、やっぱりピンと来ないまま、本当にここでQALの演奏が始まるのかなぁとぼんやりしていたときに、ちょっとだけ、音が出るかの確認程度に「ジャ」というギターの音が聴こえて、会場が「おおー!」と湧いたとき、わたしも大きな声が出た。実感が鳥肌とともにやってきた。

 「NOW I’M HERE」のイントロが始まって、ブライアン・メイのシルエットを観たときにはギャルのように絶叫していた!自分で受け止めきれないほどの大興奮だった。金切り声が出ちゃうし、涙が出ちゃうし、ギックリ腰の痛みは吹き飛ぶし、もう制御不能といった感じだった。筋弛緩剤を飲んでいたから、漏らすんじゃないかとちょっとよぎった。

 この耳で聴く、ブライアンが鳴らすレッドスペシャルの特有の音、年齢を感じさせないロジャーのドラム。一生ものの経験になる。生演奏はやっぱりすごい、ホンモノはやっぱりすごい、パワーと熱気がやっぱりすごい、オーラがすごい、そしてめちゃくちゃにこころがあったかい!わたしの全部が会場を包む空気に飲み込まれて、その一部になった気持ち良さは半端じゃなかった。自然とそうなれた理由のひとつ、難しすぎる役回りを完璧にこなした、アダム・ランバートがとにかく素敵すぎた。

 アダムの歌声はフレディの声とは違うし、歌い方も違う。でも、なんというか、エネルギーのレベルや質みたいな部分でQUEENとマッチしていて、まるで違和感がないどころか、完全に心を奪われた!めちゃくちゃ歌がうまいのはもちろん、華やかなオーラと色気がすごくて、非常にエロいのに品がある。「僕はフレディを愛してる。みんなもフレディを愛してる?今夜フレディとQUEENを祝福しよう!一緒に歌おう!」という短いMC。そしてそれがアダムの想いであるという証拠に、QUEENの曲をとにかく丁寧に歌ってくれる。QUEENを愛してるみんなの空間で、代表として歌ってくれているような感じ。実力と個性を兼ね備えた最高のアーティストであるにも関わらず!もうその愛で泣けてくる!どんなに華やかな衣装を着ていても、「僕を見て、僕の歌を聴いて」という雰囲気がまったくなかった。しっかりと曲を活かせる、楽しませてくれる、いったいどこまでピュアな魂なんだろう、こんなステージを実現できるのは!なんて愛情深く、やさしく、懐の深い人!QUEENと渡り合えるわけだわ!なんというロックな人!美しい、美しすぎた。わたしはすっかりメロメロになってしまった。全てを委ねて、最高の時間を満喫した。

 最高にロックな夜だった。それはまさに、理想的な愛のかたちだった。
 あの場にいて、フレディを胸に、だからこそ、その愛をキャッチしたお客さんたちも最高にロックだった。

 愛をかたちにするのって、本当に難しい。どんなに大切な、身近なひとにだって。ある程度示すことはできても、QALがフレディやファンたちにしてくれた、手渡しに近いようなかたち、それが実現し得ることだっていうことに、言いようのないショックみたいな感覚があった。そして、いったい他にどんなかたちがあるのかなって思っても、今回のようにその中にいないと、きっと気づけないものなんだと思う。

 

 おだやかな日々の中で、毎日ちゃんと帰ってくる夫や、寝息を立てるペットたち、かたわらにある音楽のことを考える。わたしが愛していながら、すっかり甘えてしまって、それを手渡していない相手のこと。
 自身に「ロックであれ」と言い聞かせて、カッコつけて過ごした日々を思い出した。精一杯愛した日々を思い出した。ここでまたひとつ、「ボヘミアン・ラプソディー」という映画に魅かれた理由をみつけた。そこからずーっと続いているんだ。ブライアン・メイも、ロジャー・テイラーも、精一杯愛する日々がずーっと。

 わたしはちょっとのんびりしすぎてたみたい。ここらでぜひ、もういちど、わたしのロックを手繰り寄せたい。

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略してフラマン。THE BAUM、NIGHT OWLのメンバー。

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